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≪インタビュー/教育展望・後編≫

「少子化契機に少人数学級実現を」
修士・博士課程の教員免許弾力化も

兵庫県私立中学高等学校連合会 和田 孫博 理事長

<「きょういく時報」26.2.18号掲載>




<前編よりつづく>

――「調整授業時数制度」の創設なども提言されていますが。

和田:
短時間、短時数で先に進んでいける子どもたちばかりを集めれば、そこに合わせて授業時数を決めることもできるでしょう。しかし、教科の特性や個々の理解度の違いを踏まえずにクラス分けが行なわれる場合には、時間数をテーマにすること自体、現実的とは言えません。ならば教科科目ごとに能力別編成のような形にするのか、しないのか、それも見えてきませんね。

 また、「教育課程全体を包摂的な仕組みに改める」とも言われますが、それを進めようとすると、極端な話、生徒一人に教員一人ということにもなり、現実には難しいでしょう。いずれにせよ、どっちつかずの中途半端なやり方をすれば、時短を進める学校では理解の進まない子どもたちが出てくるし、逆に十分な時間をとれば退屈する子どもたちも出てくることになりかねません。全ての子どもたちに教育が行き届くよう、整合性を持つ形にできるかどうか、非常に難しいところです。


科目見直しなら,先生の質向上も


―― 第三の「実現可能性の確保」についてはいかがでしょう。「デジタル学習基盤の更なる充実」なども求められているようですが。

和田:
情報活用能力の向上に向けて、中学校に技術情報(仮称)という新しい科目を設ける案が出ています。現在、中学校では技術家庭において情報的な部分が扱われておりますが、家庭科を生活科に入れた上で、新科目を創設する案のようです。ただし現状では中学校に「情報」の免許がありませんので、教員免許の扱いもまた懸念材料の一つになるかもしれません。

 似たような流れは、小学校で英語教育が導入された際にもありました。英語を条件としない免許を持つ人が英語を教えることで、子どもたちの英語の基礎的な力は学校間でかなり差が出ているようです。同じようなことが中学校の「技術情報」においても懸念されます。

 本来の情報教育が、中学生に対してきちんと行われ、その基礎の上に高校の情報教育が成り立っていくとするなら、学校間で生じる基礎的な力の差が引き継がれていくことはないのか、心配です。科目の見直しにあたっては、その科目を教えられる先生の質をどう上げていくかを併せて考えておく必要があると思います。

―― 高校の「情報」の授業は、数学の先生が担当されることも多いと聞きますが。

和田:
数学や理科の先生が何単位かの講習を受ければ「情報」の免許を取れるような対策もとられました。


特別免許状の制度を活用


 一方、教員不足が問題になる中で、一般の大学においては、専門的な学問に加えて教職の単位も取るのは大変だという理由から教職を取らない人も増えています。このため一昨年頃から、文科省の後押しもあって各都道府県の教育委員会が、いわゆる特別免許状を発行できるようになりました。

 それまでにも、教科によっては専門的な知識を持つ人や特定の教科に秀でた人を教員免許なしに採用できるしくみがあったわけですが、「苦労の末に教員免許を取った人もいるのに、特別免許状を付与すること自体どうなのか」など、教育委員会の中にも根強い抵抗感がうかがわれたようです。

 大学院の修士課程や博士課程の修了者の中にも、高校・中学校の教員免許を持たない人は多くおられます。そうした人たちを採用して理科を担当していただいたり、情報分野の知識が豊富でITの力をしっかり持った人に特別免許状を出すこともできるわけです。さらに、音楽や美術など芸術分野のプロの人たちに教員として働いてもらえるなら、それも非常に意味があると思います。

 また、通常の授業は従来の先生方が担当し、探究授業や、あるいは一般の授業では退屈してしまうような秀でた能力を持つ生徒については特別免許状を持つ先生方に担当してもらうこともできそうです。このような方策なども、「包摂的な取組」の一つとして非常に大事になっていくと思います。

 幼・小・中・高の各校種の免許状を持っていないと授業ができないという原則がある一方で、優秀な人材がおられるならば活用させてもらおうと。そういう取組をしていかないと、多様な子どもたちへの深い学びを実装していくことは難しいでしょう。今までの学校のあり方では難しいというならば、基本的な方向性と併せて文科省にしっかり考えていただくことがやはり重要だと思います。

 また「論点整理」の最後には、評価の問題も出てきます。評価の観点のうち「学びに向かう力・人間性」については、他の観点と同様、これまで A,B,Cの3段階による観点別評価がとられてきましたが、やはり無理があるとして評定は行わないこととされました。一旦は観点別評価の方向に振れながら、実際にやってみたら馴染まなかったので揺れ戻す形にはなりますが、この動き自体は評価できると思っています。


ハード面にもきめ細かな配慮を


―― 現在、各教科のワーキンググループでの審議も進んでいるようですが、さらに練り上げていくべきポイントなどは。

和田:
これからの教育が、少子化が進む中での教育になることは間違いありません。それを見越して言えば、少なくとも教員一人が担当する生徒の数も減っていくわけですから、その意味では、より個別に目が行き届くようになるでしょう。生徒と教員との関わりも当然、より深くなっていく、そうしたところも含めて今回の提言がまとめられたものと思います。

 その中で、クラスサイズに関しては、義務教育の中学校段階までは1クラス35人というところへ下がってきてはいるものの、欧米の先進諸国を見ますと、日本に比べてはるかに少人数の学級が多いわけです。

 学習指導要領は教育内容が中心であることは承知しておりますが、それでも教育内容を決める上で、クラスサイズを含めたハードウェア的な側面を勘案していく必要はあるはずです。今回、包括的で多様なニーズに合わせるといった趣旨のもとで、ハードウェア的な側面なども勘案されていることとは思いますが、もっともっと意識をし、考えていただけるよう期待をしております。

 それと高校の入学者選抜に関してですが、例えば大学における総合選抜方式のように、高校でも、学力のみ、筆記試験のみに頼らない選抜方式を、ある程度取り入れることが必要になっていくと思います。既にスポーツ推薦なども広く行われていますが、そのほかにも例えば、小・中学校から取り組んできた探究活動の成果を評価するなど色々考えられるのではないでしょうか。

 今回、論点にもあがっているように、スクールミッションやスクールポリシーを各校がしっかり打ち出していくことも重要で、そこは私学の方が得意といってよいのではと思います。


教える教育から学び取る教育へ


―― 教える教育から学び取る教育へという次期学習指導要領のねらいどころについては、保護者の方々にどう理解され、受け入れられていくでしょうか。

和田:
学習指導要領のあり方、まして論点整理となると教育関係者の間でもどれ程の人が読み、その内容を理解しているのか、また一般の国民の間にどの程度行き渡っているのか、などよく分かりませんが、そのあたりはむしろ国の仕事といえるでしょう。

 一方、OECDの学力検査などを見ていると、日本の子どもたちは学力の面で上位を維持しているにもかかわらず、自己肯定感とか、人のために役立ちたいかとかそういうようなところは非常にポイントが低いですね。日本人の性格として、「私は自信がある」とか「皆を幸せにしたい」などということを口に出して堂々と言えないからではないかといった見方もあるようですが、全体として見れば、今の日本の教育の中で非常に欠けている部分でもあるわけです。文科省としては、そこを何とか高めていきたいというのが正直なところだと思います。

 小学1年生から高校3年生までの12年間の教育が、日本人の国民性とも相まって“出る杭は打たれる”というような横並び意識につながってはいないでしょうか。日本人の奥ゆかしさを残しながらも、自分を表に出して色々なことに取り組んでいけるよう、学校という場へ何をどう落とし込んでいくのかが問われているように思います。


2つの「ウェルビーイング」


 社会の中で活躍していく、その気持ちを皆に持ってもらおうと、ウェルビーイングという表現も用いられるようになりました。そのまま「幸福」と和訳しそうになりますが、今この時が幸せならばハッピー、それがハピネスであり「幸福」でしょう。しかし“ビーイング”なので、それがずっと続いていくんですね。一生の幸せ感とでもいいますか。

 ですから例えば「個人のウェルビーイング」と、もう一方には自分が属している「集団や社会のウェルビーイング」がある。自分だけが幸せになればそれでいいのではなく、周りの人たちも一緒に幸せでいられるためには何が必要か、という発想が求められているわけです。その部分をこれからの教育で伸ばしていこうという方向性がうかがえます。今回の改訂がこの方向に進んでいることは間違いなく、そのことをいかに具体的な形で教育関係者にも、一般の人々にも理解してもらえるように取り組んでいけるかが課題になると思います。

 我田引水ではないですが、灘校には「精力善用 自他共栄」の校是があります。創立時の顧問だった嘉納治五郎が唱道した理念です。

 精力善用とは、一生懸命に自分自身を高めていくこと。すなわち個人のウェルビーイングを指しています。しかしながらそれを追求していくには、周りの人も一緒に幸せになっていかなくてはなりません。自己の完成は、他者の完成を助けることで成り立つものであり、これが自他共栄です。2つのウェルビーイングを兼ね備えたこの校是は今から100年以上も前にできたものですが、嘉納先生は高等師範学校の校長経験が長く、文部省の役人として、またグローバルにも活躍された経験が、今に伝えられているような気がしています。

―― 本日はご多忙中、ありがとうございました。
<文中敬称略>


(灘中学校灘高等学校参与・元中教審高校教育部会委員)
【完】


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